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「中村遊郭」
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■中村遊郭成立以前の名古屋の遊郭

古くは、徳川家康による飛田屋町廓や徳川宗春による西小路遊廓、富士見原遊廓、葛町遊廓が知られるが、いずれも出現後禁制策がすぐにとられ、長くは続かなかった。江戸期の名古屋で専ら活躍していたのは、百花(もか)と呼ばれた私娼であった。
安政年間に至り、玉屋町の宿屋渡世笹野屋庄兵衛なる者が上願して、大須観音堂の北にあたる北野新地(清安墓地の南、大光院墓地の西の区画)という一区域に役者芸人の寄宿を許可され、漸次繁盛してきた。
、「日出町近傍を遊所の区劃と定め」ここに名古屋の公娼が誕生したが、北野新地の南西、園町以東を適当とし、これを入れて大須観音の堂裏、堀川以東の5箇所に移転させ、この一廓を「旭廓」と称することとなった。
、工費8800余円を投じて新地に女紅場(じょこうば、女子のための習い事の施設)を新設した。

頃が旭廓の全盛時代と考えられ、娼家173軒、娼妓1618人を数えた『中村区史』中村区制十五周年記念協賛会(1953年)。

になり、名古屋市の都市拡大が進み、風紀上の問題が論ぜられるようになったこと、遊郭の発展で手狭になってきたことから、旭廓の移転問題が浮上してきた。当時の県知事が、貸座敷取締規則に改正を加え、尾張国における貸座敷営業区域を南区稲永新田と限定し、7月限りで現営業地においての営業を許可する旨を発令した。しかし、この移転問題に絡む疑獄事件が発生したことで、旭廓の稲永新田移転の話は立ち消えになり、代わって「愛知郡中村」(当時)へ引っ越す事になった。

結局、稲永は後年、熱田伝馬町からの引っ越しと言う形で遊郭が設置されている。


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◆目次

中村遊郭とは
中村遊郭成立以前の名古屋の遊郭
旭郭から中村遊郭への移転と繁栄
 遊郭の構造・運営法
 娼妓
戦中
戦後・名楽園時代
売春防止法施行から現在まで
周辺関連施設
 遊里ヶ池
 愛知県立中村病院
 素盞男(すさのお)神社
歌謡
沿革
交通アクセス
外部リンク

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