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「中村遊郭」
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■旭郭から中村遊郭への移転と繁栄

中村への移転が決定すると、その移転地につき名古屋土地株式会社と旭廓土地株式会社との間に土地31620坪(104346平方メートル)の売買契約が締結、3月から整地に着手、119700余円を投じてできあがった組合事務所(現在のピアゴ(旧ユニー)中村店付近)を中心として娼家群の新装が成り、開業したのは4月1日であった。またこの日から「中村遊郭」または「中村旭郭」と称せられるようになった。ただし当時の新聞記事によると、4月1日に一斉移転できたわけではなく、一部の業者は移転未了のままのスタートだった。
新生中村遊郭は、日吉(ひよし)・寿(ことぶき)・大門(おおもん)・羽衣(はごろも)・賑(にぎわい)の5つの町からなっていたため、五町街(ごちょうまち)稲川勝次郎『歓楽の名古屋』趣味春秋社(1937年)または五丁町(ごちょうまち)とも呼ばれた。

遊郭移転後、遊客数・遊興金額・一人あたりの遊興金額とも増加してゆき、の遊客数は755940人(一日あたり2071人)を数えた。
しかし全盛を極めたのは、頃で、娼家138軒または147軒、娼妓約2000人、一軒の抱え娼妓が13~30余人を数えた。
ちなみに厚生省の調査によれば、昭和12年当時の全国の娼妓総数44908人であり、全国の4.5%の娼妓が中村に集中していたことになる神崎宣武『聞書遊廓成駒屋 不思議な場所のフォークロア』講談社(1989年)。

昭和3年と昭和8年には京都嶋原からその道の専門家を招いて花魁道中の催しを挙行した。県下はおろか他県からも見物客が押し寄せ、未曾有の盛況を呈した。

当時、「中村は遊興代の高いことに於て日本一」と云われ、昭和7年時点で、一流楼あたりで1時間2円50銭くらい島洋之助『百万・名古屋』名古屋文化協会(1932年)だった。

例祭として、夏の提灯祭り、正月の門松があった。

遊郭の構造・運営法
娼妓

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◆目次

中村遊郭とは
中村遊郭成立以前の名古屋の遊郭
旭郭から中村遊郭への移転と繁栄
 遊郭の構造・運営法
 娼妓
戦中
戦後・名楽園時代
売春防止法施行から現在まで
周辺関連施設
 遊里ヶ池
 愛知県立中村病院
 素盞男(すさのお)神社
歌謡
沿革
交通アクセス
外部リンク

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