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「少女ヌード写真集」
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■1980年代

1980年代は、少女ヌード作品が市場の大きな需要となっていることが明確に意識され、それに応えようと爆発的ともいえる供給がなされた時期となった。翻って1970年代から欧州においては、イリナ・イオネスコやデイヴィッド・ハミルトンなど限られた写真家の少女ヌード作品が存在したものの、数は限られており公に流通するのはその芸術性が社会的に認められたものだけだった。それとは対照的に1980年代の日本では大量の少女ヌード作品が生産され、1年間の出版数だけで、欧米の10年、20年を優に超えるほど類を見ない量的拡大を特徴とした。それが可能だったのは、猥褻図画をめぐる法律が実体主義(陰毛露出を基準とする)に終始して陰毛のない少女ヌードに適用されなかった事、欧州でイオネスコが直面したような児童ヌード表現と人権をめぐる深刻な議論や裁判を回避できた事、日本は欧米的なキリスト教的禁忌が薄くいわゆる「ロリコン」男性の需要にさほど抑圧的でなかった事などが挙げられる。会田我路、近藤昌良などの多作でメジャーな写真家もこの分野に参入した。

これらの大量増産は1980年代後半から問題視される結果となり、少女ヌードの存在は児童性愛的な男性の需要と密接に結び付けられ、わいせつ表現の面から、そして児童虐待や凶悪犯罪などの逸脱につながる可能性の面から、社会的な批判や介入をよび、いくつかの児童福祉法違反による検挙や猥褻図画としての規制圧力を余儀なくされるに至る。

一方でモデルとなった児童へのストーカー行為などから、出版社や写真家らはこうした事件の回避策として、海外により多くのモデルを求めるようになっていく。特に1990年代には力武靖をはじめとする写真家が多くの写真集において外国人モデルでありながら日本人のような名前を付けて発表していたことにはこうした背景が存在した。すなわち、モデルの実名は勿論のこと、その出身地や具体的なプロフィールを原則として一切公開せず、あくまでも日本人としてリリースし、モデル児童の人権を保護しようというものであったが、一般世論的には海外に安く性的な搾取を求めていると解釈され、より強い非難を浴びる結果へと繋がっていった。

大渕静樹(大舞地静樹)は刺激の強いものが多く、その足跡は1980年『白夜の少女ティナ』(徳間書店)から、1983年『妖精伝説 ヨーロッパの天使たち』、1984年『ロリコンTHEワールド 欧州撮り歩き』までの一連の作品に見ることができる。


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◆目次

少女ヌード写真集とは
ブームの変遷
 1970年代まで
 1980年代
 1990年代
 2000年以降
写真集リスト(写真家別)
 石川洋司
 篠山紀信
 野村誠一
 大友正悦
 大渕静樹(大舞地静樹)
 神渡信平
 木津智史
 清岡純子
  写真集
  雑誌
 近藤昌良(星野正義)
 彩紋洋実
 アヤコ・パークス
 山木隆夫
 力武靖
 オムニバス・その他
  少女文庫 笠倉出版社
  ロリータ写真文庫 笠倉出版社 1982年
  オムニバスなど

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◆関連ワード


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