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「日活ロマンポルノ」
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■概略

1971年11月にスタートし、『団地妻 昼下りの情事』(白川和子主演)と、『色暦大奥秘話』が第1作であった。その後、田中真理、宮下順子、谷ナオミ、東てる美、泉じゅん、岡本麗、美保純、高倉美貴ら多くのスターが生れた。後にロマンポルノ出身の宮下順子らがテレビでも活躍するようになり、芸能界へのステップと考える女優も多くなったという。

また、ロマンポルノで育った映画監督も数多い。後にある映画監督が、「ロマンポルノでは裸さえ出てくればどんなストーリーや演出でも何も言われず自由に制作できた」と語ったように、自身の作家性を遺憾なく発揮できる場であり、斜陽期の邦画界の中で崩壊してゆくスタジオシステムを維持し続け、映画会社として若手監督の育成に努めてきた場であった。ロマンポルノの中で作家性を発揮した監督に神代辰巳、曾根中生、田中登などがおり、ロマンポルノから出発した若手監督には石井隆、和泉聖治、金子修介、崔洋一、周防正行、相米慎二、滝田洋二郎、中原俊、那須博之、根岸吉太郎、森田芳光などがいる。

通常は3本立て2週間興行が行われ、2本が自社製作、1本が買付け作品であったが、正月映画およびお盆映画は大作2本立てでロングラン興行が行われた。

1970年代では黄金期でもほとんど無縁だった時代劇や60年代後半の主力路線だった任侠ものも数多く作られている。

日活ロマンポルノは、人材・作風などからピンク映画と関連性があるが、別物と言って良い。ロマンポルノは予算がピンク映画に比べて潤沢であり、日活社有のスタジオが利用でき、俳優・監督なども事実上の日活専属が多かった事から、ピンク映画とは様々な面でカラーが異なっていた。またピンク映画業界の女優や監督など、優秀な人材が日活にヘッドハンティングされる事もあり、決して対等・良好な関係とは言えなかった。ただし、1980年代後半以降、諸般の事情からロマンポルノにピンク映画出身の監督が次々に進出するようになり、垣根は取り払われていった。

家庭にビデオデッキが普及し、アダルトビデオ(AV)が低料金でレンタルできるようになった1980年代後半には、成人映画の劇場に足を運ぶ人は減る一方であった(一方のAV界は1985-1988年頃に大きく売り上げを伸ばし、AV黄金時代と言われた)。1985年以降、ビデオ撮影しフィルムに転写したキネコ作品を「ロマンX」と銘打って公開した(第1作は『箱の中の女』など)。その一方、1980年代前半から元アイドルや旬を過ぎた女優などを起用するソフト路線もあらわれ(これらの多くは2本立て興行となり“エロス大作”と呼ばれた)、こちらはロマンXとは対照的に性描写は極めて薄くなっていった。1980年代後半はこうした二極路線であったが、抜本的な人気回復とはならなかった。

1988年、にっかつはロマンポルノを打ち切り、7月1日にっかつ映画館を「ロッポニカ」と改名し、「ロッポニカ」レーベルで一般映画の製作・配給を再開する(第1作は神代辰巳監督『噛む女』、小沢啓一監督『メロドラマ』)。同時に、一般映画を上映できない成人映画館向けに、系列のエクセス・フィルムで成人映画の買付け・配給を行った。しかし、一般映画は不入りで半年で打ち切られ、以後多くのロッポニカ館においてもエクセス・フィルム作品を上映する。また、ケーブルテレビ(CATV)のコンテンツ・チャンネルNECOを設立したが、バブル景気に乗じて過剰投資に走りすぎ、バブル崩壊後経営状況は悪化の一途をたどる。

1989年8月3日、にっかつは成人映画路線を別会社「新日本映像株式会社」に委託、「エクセスフィルム」のレーベル名で新作の製作を開始し、現在も継続している。


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