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この記事は中立的な観点に基づく疑問が提出されているか、議論中です。(2012年12月) |
| 飯塚事件 | |
|---|---|
| 場所 | |
| 日付 | 1992年(平成4年)2月20日 |
| 概要 | 小学1年生の女児2名が性的暴行を加えられた上、絞殺されて林道に遺棄された。 |
| 死亡者 | 2人 |
| 被害者 | 小学1年生の女児 |
| 犯人 | 久間 三千年(当時52歳、無職) |
| 動機 | 性目的 |
| 対処 | 死刑(執行済み) |
飯塚事件(いいづかじけん)とは、1992年(平成4年)2月20日に福岡県飯塚市で2人の女児が殺害された事件。逮捕・起訴された久間 三千年(くま みちとし)に死刑判決が下り、2008年に執行された。一部メディアは冤罪疑惑を採り上げ、翌2009年に久間の妻が再審請求したが、2021年に再審請求棄却が確定した。
1992年2月20日朝、福岡県飯塚市で同じ小学校に通う1年生の女児2人(ともに当時7歳)が登校途中にそろって行方不明になった。
翌21日午後0時10分頃、同県甘木市(現朝倉市)と嘉穂郡を結ぶ国道を自動車で走行中の団体職員の男性が、小用を足すために車から降りたところ、崖下にマネキンのようなものが2体捨てられているのを発見し通報、駆けつけた捜査員が、道路から約10メートル下の雑木林で、女児2人の遺体を発見する。同日午後9時頃、甘木署にてそれぞれの両親が遺体を確認、署長が発表した。
捜査本部は、事件発生から5日後の2月25日、被害者と同じ校区に住む無職、久間三千年(当時54歳)宅を訪問し、事件当日のアリバイなどを事情聴取している。
同年3月20日、久間を重要参考人として取り調べ、ポリグラフ検査を実施したほか、毛髪と指紋の任意提出を促した。女児殺害に関して、犯人と久間のDNA型がほぼ一致するという鑑定結果が出たものの逮捕には至らなかった。
1994年9月23日、女児の衣服についていた繊維片が久間所有の車のシートのものと一致したとして、死体遺棄容疑で久間を逮捕。同10月14日に殺人等で久間を再逮捕。同日、福岡地検は死体遺棄で久間を起訴し、同年11月5日には殺人・略取誘拐でも追起訴した。
カギ括弧内は判決文をそのまま引用。
一審の福岡地方裁判所1999年9月29日判決は、
など、主として6つ情況事実群を総合評価して、久間が犯人であることについては合理的な疑いを超えて認定することができるとして、久間に死刑判決を下した。
ほか、弁護人は、犯人は情性欠如型の性格異常者と想定されるのに対して久間は本件のような犯罪を犯すはずがないと主張し、久間の性格鑑定を申請したため、裁判所が大学の精神医学教室に鑑定を依頼したところ、鑑定結果では、久間は「情性欠如型の性格異常者と判断され、(中略)犯罪を犯す本来的な傾向を十分もっている」と結論付けられた。しかし、このように久間に不利な結果が示されたが、裁判所は「鑑定の結論は採用することができない」と判示し、証拠として採用しなかった。
控訴審の福岡高等裁判所2001年10月10日判決は、第一審で認められた状況証拠を同様に評価したほか、
との新たな判示をした。そして一連の証拠について、「これらの情況事実は、いずれも犯人と犯行とを結びつける情況として重要かつ特異的であり、一つ一つの情況がそれぞれに相当大きな確率で犯人を絞り込むという性質を有するものであり、これらは相互に独立した要素であるから、その結果、犯人である確率は幾何級数的に高まっていることが明らかである」として、死刑判決を維持した。
最高裁判所2006年9月8日第二小法廷判決は、「被告人が犯人であることについては合理的疑いを超えた高度の蓋然性がある」として、裁判官全員一致の意見で上告を棄却し、久間の死刑が確定した。
2008年10月28日、福岡拘置所において久間の死刑が執行された。朝日新聞は、2018年における再審請求控訴審の棄却を報道する際、2008年の死刑執行に対して「刑が確定してから約2年という異例の早さ」と報じているが、2008年から民主党政権になるまでは、この事件に限らず、確定から執行までの期間が2~3年であった。
2009年10月28日、久間元死刑囚の妻は、福岡地方裁判所に再審請求した。
弁護団の再審請求の趣旨及び理由は、次の3点である。
福岡地方裁判所2014年3月31日決定(平塚浩司裁判長)は、
として再審請求を棄却した。久間の妻は、福岡高等裁判所に即時抗告した。
福岡高等裁判所2018年2月6日決定(岡田信裁判長)は、
などとして即時抗告を棄却した。2018年2月13日、久間の妻は、最高裁に特別抗告した。
最高裁判所2021年4月21日決定は、「新証拠はいずれも確定判決の認定に合理的な疑いを生じさせるものではないという原々決定の判断を是認した原決定の判断は、正当である」として、裁判官全員一致の意見で抗告を棄却した。
1988年12月4日、本件被害者と同じ小学校の1年生女児(7歳)が、弟とともに久間の息子を訪ねて100メートル離れた久間宅に遊びに行った後、行方不明となる事件が発生していた。なお、久間が最後の目撃者である。
福岡県警は、1994年の逮捕後に久間のポリグラフに対する顕著な反応が出たことがきっかけで久間や女児の住む団地近くの雑木林を捜索した結果、女児のジャンパーとトレーナーを発見し、女児の母親が確認した。県警には、団地近くの山林に久間が当時頻繁に出入りしていたとの情報が寄せられていた。発見された衣類は比較的傷みが少ない状態であり、捜査幹部によると、失踪後数年してから捨てられた可能性があるという。その後、衣類発見現場から約3メートル離れた土中から子供のような骨3点が見つかったが、骨自体が小さく骨髄液を検出できなかったため、人骨と断定できないという結論となった。
久間は、事件当日に女児と会ってチョコレートをあげたということは認めており、女児の衣類を見せられると動揺した様子をみせて「骨も一緒にみつかったのか」などと捜査員に質問した。しかし、「自分は事件とは無関係だ」と供述するなど、事件の関与については全面否定した。その後進展なく1995年2月18日、捜索は打ち切られ、現在も未解決であり、事件に巻き込まれたのか事故に遭ったのかも不明。
久間は逮捕前から刑死する直前まで一貫して無罪を主張した。逮捕前にはマスメディアの取材に応じ「アリバイ以上のものを持ってる。100%関係ない。やってないものをやったと思われたことだけは、白黒必ずつける。」などと語っていた。
「西の飯塚、東の足利」と言われてきた通り、本件と足利事件の両事件はMCT118型検査法によるDNA型鑑定が同じ時期に同じ方法で、同じ鑑定技官によって実施されたという共通性は認識されていた。
2008年10月16日、足利事件の再鑑定が行われる旨の報道がされた。その12日後の10月28日、本件での久間の死刑が執行された。2009年6月4日、足利事件で服役中の菅家利和が最新のDNA型鑑定などによって事実上の無実釈放となる。足利事件は、当時の123塩基マーカーで計測したMCT118型の鑑定結果を、アレリックラダーマーカーで再計測したところ、犯人と菅家のDNA型が一致しないことが明らかになったものであった。それに対して、本事件は、第二審でアレリックラダーマーカーで検証されているほか、新たに開発されたTH01型とPM型の検査法によっても久間が犯人であることと矛盾しない結果が出ている点で異なる。足利事件ではDNA型がほぼ唯一の証拠であり、その証拠力が最大の争点となったが、本事件では複数の状況証拠が存在し、血液型とMCT118型の一致は「決定的な積極的間接事実とはなりえない」と判示されている点でも異なる。また、足利事件は、日本弁護士連合会が支援する再審事件であったが、本事件の再審請求は日弁連によって支援されておらず、2014年3月31日の再審請求棄却決定時に日弁連会長が決定を容認できない旨の声明を出したに止まった。
2017年9月3日、NNNドキュメント'17「死刑執行は正しかったのかⅡ飯塚事件 冤罪を訴える妻」にて久間の妻がマスコミの取材に応じている姿が放送された。さらに妻は、弁護団作成の書籍で「久間三千年は無実です。……もし、その現場に遭遇していたら、夫は自分の体を張って子供たちを守っていたと思います。夫はそういう人でした。……無実を訴え続ける言葉に耳を傾けず平然と人を裁く裁判所に失望しました」と述べている。