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『トラック野郎』(トラックやろう)は、1975年から1979年にかけて東映の製作・配給で公開された、日本映画のシリーズ。全10作。
本シリーズの大ヒットにより、車体を電飾で飾り、ペイントを施して走るアートトラック(デコトラ)が増加した。また、菅原文太演ずる本シリーズの主人公・星桃次郎が乗るトラック「一番星号」を模したプラモデルが子供たちの間にも大ヒットする等、映画の枠を超えた社会現象となった(プラモデル、玩具についてを参照)。
主演は菅原文太、愛川欽也。煌びやかな電飾と極彩画に飾られた長距離トラック(デコトラ)の運転手、一番星桃次郎(菅原)とヤモメのジョナサン(愛川)が巻き起こす、アクション・メロドラマ・お色気・下ネタ・笑い・人情が渾然一体となった大衆娯楽活劇である。監督は奇才かつヒットメーカーで、菅原とは無名時代からの友人でもある鈴木則文。
『仁義なき戦い』シリーズなど、これまでシリアスなやくざ役のイメージが一般的には定着していた菅原文太だが、コメディタッチのやくざ映画『まむしの兄弟』シリーズでの喜劇的演技が好評を博し、本作は本格的に喜劇作品に挑戦した作品ともいえる。
『トラック野郎』誕生のきっかけは、ジョナサン役の愛川欽也が吹き替えを担当していたアメリカCBSテレビのテレビドラマ『ルート66』の様なロードムービーを作りたいという構想を抱き、自ら東映に企画を持ち込んだのが始まり。『ルート66』は、「若者二人がシボレー・コルベットを駆ってアメリカ大陸を旅をする」という内容であったため、当時40歳になる自分がそのままやるのでは無理があると考えていた時、1975年5月28日に放映されたNHKのドキュメンタリー番組『カメラリポート 走る街道美学』で、東名高速をイルミネーションを点けたトラックが走っている映像を観て、「これならイケるんじゃないか?」と閃き、当時、愛川が司会を務めていた情報バラエティ番組『リブ・ヤング!』にゲスト出演して知り合った菅原文太に「何とか映画にならないものか」と相談を持ち掛け、二人で「東映の岡田茂社長(当時)に企画を持ち込み直談判した所、すんなり企画が通った」、「東映は岡田社長の鶴の一声で決まるから」と愛川は証言している。八代亜紀は、自分にトラック運転手さんの追っかけが出来る現象が生まれていたことも、映画誕生と関係しているのではないかと話している。「トラック野郎」という題名はプロデューサーの天尾完次による命名。
シリーズ全10作の監督を務めた鈴木則文は、東映入社後、助監督時代から専属だった東映京都撮影所から東映東京撮影所に移って2年程経ち、この間、『聖獣学園』など3作品を演出、『女必殺拳シリーズ』など2作品の脚本を手掛けていた。当時の東映の看板路線だった実録やくざ映画の人気が下火になりつつあった時期にこの企画を持ち込まれ、やくざ映画に変わる新たな娯楽作を送り出そうと制作に意欲を示していたが、本社の企画会議で岡田から「バカヤロー! トラックの運ちゃんの映画なんて誰が見るんだ!」と一蹴され、一旦ボツになったが、「当初予定していた別の作品が俳優の都合で頓挫し、岡田社長から「それでいいから作れ」と、急遽、穴埋めとして製作されることになった」、と幸田清元東映東京撮影所長らは話している。当初この枠で予定していた映画は、岡田裕介主演・檀ふみ共演の『華麗なる大ドロボウ』(山下耕作監督予定だった)である。岡田社長が「お盆映画にしては弱すぎる」と製作を無期延期したため『トラック野郎』が製作された。宣伝部の福永邦昭は電飾トラックを紹介する雑誌記事を集め、横浜の電飾取り付け工場を取材。さらには電飾トラックを扱ったNHKのドキュメンタリー番組を見つけ出すと「持ち出し禁止のフィルムを奥の手で借り受けて」、5月中旬には社内試写を行い、岡田から承認を得ていた。鈴木は「わたしの映画人生の大恩人、岡田茂はヒットすると自分の企画案のように大絶賛していた」と話している。
企画から下準備、撮影を含めた製作期間は2か月、クランク・アップは封切り日の1週間前であった。シリーズ化の予定はなく、単発作品としての公開だった。こうして、過密な撮影スケジュールと低予算で製作された『トラック野郎・御意見無用』は1975年8月30日に公開された。ところが、いざ蓋を開けてみると、オールスターキャストの大作
『新幹線大爆破』(同年7月公開)の配給収入の2倍以上の約8億円を上げた[要検証]ことから、岡田社長は「正月映画はトラックでいけ」、「トラ(寅さん)喰う野郎やで」、「(2作目の)題名は爆走一番星や!」と即座にシリーズ化を決定した。『トラック野郎・御意見無用』の大ヒットの原因について当時の『キネマ旬報』は「それまでの実録路線がタイトル、内容ともにえげつなくなり過ぎていたきらいがあり、本作はコミカルな要素も加わった異色作品で、観客層もそれまでの東映作品から幅広くなり、女性層もかなり吸引したこと、メガヒットだった『タワーリング・インフェルノ』のロングラン上映が二ヵ月に渡り勢いが下降し、また松竹、東宝もロングランで対抗する作品が皆無で、公開タイミングが最適であった」と分析している。
東映の興行の基盤となるドル箱シリーズとして1979年末まで盆と正月の年2回公開されていた。愛川曰くライバル映画の松竹『男はつらいよ』と常に同時期の公開だったことから、「トラトラ対決」(「トラック野郎」と「寅さん」の対決の意)と呼ばれていた。
内容は菅原自身も後に語っているように、ライバル映画であった松竹の『男はつらいよ』のスタイルを踏襲している。毎回マドンナが現れ、惚れては失恋するところは、『男はつらいよ』のそれに似ているが、寅さんが「静・雅」なら桃さんは「動・俗」と対極をなしている。物語の中核を担うのは寅さんではありえない「下ネタ」「殴り合いの喧嘩」「派手なカーアクション」で、とりわけ下ネタのシーンは屋外での排泄行為やトルコ風呂(現・ソープランド、以下「トルコ」)、走行しながらの性行為など、現在の視点から見るとかなり過激な描写も多い。なお、本作の人気が高まるにつれ、未成年者のファンも増加したため、トルコの場面はそれらの観客への配慮もあり、シリーズ後半以降はほとんど描かれなくなり、テレビで放送される際には時間の関係もありその辺りのシーンをカットの対象とされることが多かった。
青森ねぶた祭りや唐津くんちなど、全国各地の有名な祭りの場面が登場するのも、このシリーズの特色である(シリーズ一覧参照)。また当時人気のコメディアンや落語家がキャスティングされていることも特徴で、それぞれ一世を風靡した持ちネタや喜劇的演技を披露していた。
喧嘩のシーンはシリアスなものではなく、必ずギャグが入る。また、カーアクションは、毎回クライマックスで一番星号が暴走する一方、多くの回(クライマックスの爆走参照)で追跡する白バイやパトカーが横転、大破するなど、警察をコケにした代物である。その為、警察庁からクレームが有り打ち切りとなるきっかけになった。
劇中に登場するトラックに関しては、第1作目で使用された一番星号(三菱ふそう・T951型)とジョナサン号(同・T650前期型)は廃車両を譲り受けたものだったが、続編の製作決定を期に共に新車(正確には北海道・室蘭で東映が購入した新古車、車種は一番星号が三菱ふそう・FU型で、ジョナサン号は同・T652型)に代替され、最終作の『故郷特急便』まで使用された。三番星号は三菱ふそう・キャンターT200型が使用された。
また、撮影にあたり、「哥麿会」などのデコレーション・トラックグループが全面協力。実在のトラックも多数登場している。
日本全国津々浦々を走る長距離トラック(白ナンバー)運転手、一番星こと星桃次郎(菅原文太)が主人公。やもめのジョナサンこと松下金造(愛川欽也)は子沢山の相棒。この二人が各地で起こす珍道中を描く。
シリーズ全10作に通ずる基本的なストーリーは、桃次郎が目の前に現われたマドンナに(たいてい便所や情けない姿をしている時に遭遇)一目惚れをし、相手の趣味や嗜好に合わせて(見当違いの)付け焼刃の知識で積極的にアタックしていく。また、個性の強いライバルトラッカーが現われ、ワッパ勝負(トラック運転での勝負)や一対一の殴り合いの大喧嘩を展開する。そして、「母ちゃん」こと松下君江(春川ますみ)を始めとするジョナサン一家、女トラッカー、ドライブインに集う多くのトラック野郎達等を絡ませ、人情味あふれるキャラクター・桃次郎を中心に、様々な人間模様が綴られてゆく。
結局、恋は成就せず物語はクライマックスへ。天下御免のトラック野郎に戻った桃次郎は、時間が足りない悪条件の仕事を引き受け、愛車・一番星号に荷(時には人も)を載せてひたすら目的地に向けて愛車のトラックで突っ走る。その走りぶりはアクセルを踏み込んだ時の加速力(メーターの上がり方)からしてもうかがえる。追っ手の警察を蹴散らし、強化された検問を突破し、トラック野郎達の応援・協力を得て、道なき道を走り一番星号を満身創痍にしながらも(劇中に障害物で行灯が割れたり、泥水でトラックが汚れるなどの描写がある)時間内に無事送り届け、修理を終えた一番星号とジョナサン号が走り去る…というシーンで終わりを迎える(第1作のエンディングは一番星号がジョナサン号を牽引し、第3作ではジョナサン号が一番星号を牽引した。これは、激走の代償として自走不能となってしまったため)。
| No. | サブタイトル | 荷物と目的 | 移動区間 (所要時間等 / 桃次郎の答え) | 警察との激突 | ライバルのサポート |
|---|---|---|---|---|---|
| 1 | 御意見無用 | マドンナ(中島ゆたか)を恋人の元へ | 盛岡から下北の港へ12時までに (8時間 / 3時間) | ○ | × |
| 2 | 爆走一番星 | 父親(織本順吉)を子供の元へ | 岡山から長崎まで、1月1日0時までに (不明 / なし) | ○ | ○ |
| 3 | 望郷一番星 | 生魚40トン | 釧路から札幌の18時の競りに (あと5時間 / なし) | ○ | △ |
| 4 | 天下御免 | 20トンの荷物と母(松原智恵子)子 | 倉敷から境港経由で京都へ、17時までに (9時間 / あと6時間か) | × | × |
| 5 | 度胸一番星 | 逮捕されたジョナサンの荷物(ブリ) | 金沢から新潟の市場へ18時までに (8時間(残り5時間) / なし) | ○ | ○ |
| 6 | 男一匹桃次郎 | マドンナ(夏目雅子)を恋人の元へ | 唐津から鹿児島空港へ16時までに (6時間 / 4時間) | ○ | ○ |
| 7 | 突撃一番星 | マドンナ(原田美枝子)と恋人を病院へ | 1時間以内に病院へ | × | × |
| 8 | 一番星北へ帰る | 医療機器 | 花巻から大野村まで2時間以内 (200km以上 / ) | ○ | ○ |
| 9 | 熱風5000キロ | 子供を母親(二宮さよ子)の元へ | 木曽上松から魚津港まで (汽車で6時間かかる。残り4時間 / 4時間で十分) | △ | × |
| 10 | マドンナ(石川さゆり) | 高知から高松港に12時までに (特急で3時間半。残り2時間半 / ) | ○ | ○ |
全10作に登場するキャラクターは、星桃次郎(一番星)、松下金造(やもめのジョナサン)のみである。次点は松下君江(母ちゃん)の8作。松下家の子供たちも同じであるが、途中で俳優が入れ替わっているため、子役の最多出演数は5作となっている。
なお、本業の俳優ではないが、デコトラグループ哥麿会の初代会長の宮崎靖男が、哥麿(うたまろ)役(運転手役)で第3作以降全作に登場している(第1作には「運転手」役で、第2作では「宮崎」役で出演)。
星 桃次郎(ほし ももじろう、演:菅原文太)、主人公。独身。
オープニングでのクレジットは「一番星桃次郎」。ジョナサンや松下君江(母ちゃん)からは「桃さん」と呼ばれている。初期は、仲間のトラック野郎からは「一番星」、女性(ドライブインのウエイトレスなど)からは「桃さん」と呼ばれていた。徐々に男性からも「桃さん」と呼ばれるようになる(マドンナ基本的に「桃次郎さん」と呼んでいる)。
性格は短気で血の気も多いが、情に厚く真っ直ぐで、卑怯な真似を嫌う。普段は粗野だが根は純情。酒好き、女好きで大食漢。トラック仲間からの人望が厚い。相棒のジョナサンとは、時には大喧嘩するものの、その時も心の中では親友と思っている。
普段着や腹巻、ライターには必ず「☆」マークが入っている(プロポーズ時の正装等は例外)。このほか、右肩には「☆一番星」の刺青がある。夏の衣装はダボシャツに腹巻、雪駄もしくはブーツ。冬は上はタートルネックやコート、足元はブーツになるが、腹巻は服の上からしている(夏冬とも)。第1作や第2作ではツナギ姿も見られた。腹が弱く、運転中によく便意を催し、耐え切れない時は野外で脱糞をすることもある。
住所不定のため、手紙はいきつけの川崎のトルコ「ふるさと」宛に届けられる。自ら「心の故郷」と言うほどのトルコ好きで、千人以上抱いていると称している。無類の女好きで、ジャリパン(路上売春婦)とセックスしながら運転する事もあった(第8作のオープニングのラスト)。
マドンナに自己紹介する時は「学者」(第6作)、「運輸省関係」(第3作)など職業を偽る(あるいは見栄を張る)クセがある。一人称も「僕」に変わる(普段は「俺」)。マドンナの前でトイレ、トルコなどのネタが振られた場合、「下品な!」と一蹴しており、普段の性格とまるっきり反対の行動となっている。
マドンナにはほぼ毎回一目惚れしている(第9作のみ例外)が、ほぼ毎回振られている(第5作のみ例外)。振られる原因は、桃次郎自身の言動や行動が、マドンナの想いを後押ししている場合がある。振られることがハッキリした時は、マドンナと恋人の仲を取り持つ方に回ることもある。
この他、第2作では杉本千秋(演:加茂さくら)と赤塚周平(演:なべおさみ)をジョナサンと共に取り持っている。また、ライバルとの喧嘩の結果、第3作では浜村涼子(演:土田早苗)と大熊田太郎次郎左衛門(演:梅宮辰夫)の、第5作では江波マヤ(演:夏樹陽子)新村譲治(演:千葉真一)の橋渡し役ともなっている。
東北の寒村の生まれだが、小学生の時にダム建設のため一家は村を追われ、父親の知り合いを頼って青森県下北半島へ移る。にわか漁師となった父親は、下北へ移って間もなく海難事故で死亡。その後、母親と妹と3人で極貧の中生き抜いてきたが、母親もその後病死している。妹は生死不明で、劇中でもほとんど語られる事はなかった。
上記は第8作で語られたものだが、第2作では「母親がいない」という父子家庭だったと語っている(兄弟については説明なし)。自分の生まれ故郷がダムの湖底に沈んで無くなってしまった為か、「故郷」というものに対する想いは人一倍強い。
性格に似合わず、泳げない(いわゆるカナヅチ)ばかりか、犬(特に土佐犬)や馬も苦手である。
松下 金造(まつした きんぞう、演:愛川欽也)。桃次郎の相棒。妻帯者で子沢山。
行灯は「やもめのジョナサン」(当時ヒットした映画「かもめのジョナサン」のパロディ)。クレジットの定位置はトメ(最後)となっているが、ライバル俳優がトメに回る場合(第5作の千葉真一と第6作の若山富三郎)は2番目にクレジットされている。クレジットは「ヤモメのジョナサン」とカタカナの場合がある(第2・6-8作)。
性格は温厚で明るく人情家。津軽出身。元警察官で、かつては鬼代官ならぬ「花巻の鬼台貫(だいかん)」と恐れられた。パトカーの酔っ払い運転で懲戒免職になり、トラック野郎になる。
運転手仲間やウエイトレスなど、ある程度親しい男女からは「ジョナサン」と呼ばれることがほとんどで、「ジョナサンさん」とは呼ばれない。玉三郎を除き、本名(苗字)で呼ぶことは稀である(第4作の序盤での運賃の支払い場面や、第8作の金融会社、第9作の上松運送のシーンなど、改まった場す面のみ)。家族からは「父ちゃん」と呼ばれている。
苗字の「松下」は、愛川が出演した松下電器産業(現:パナソニック)のラジカセのCM内でのセリフ「あんた、松下さん?」にちなむ命名で、(当時の)日本一の金持ちである松下幸之助にあやかっている。第3作以降、松下電器のツナギを着用している場面もあるが、「電器」の文字にそれぞれ「×」で消し「運送」と書き込んでいる。また、第7作では松下運送の社歌を歌ったが、松下電器の社歌の替え歌である(車体にも書き込んでいた)。普段の衣装は虎縞の腹巻が定番(帽子は第2作から)。
男女の仲を取り持つのが得意だが、桃次郎とマドンナの仲は取り持てていない。仲を取り持った例は、以下の通り。
この他、第2作では杉本千秋(演:加茂さくら)と赤塚周平(演:なべおさみ)を、桃次郎と共に取り持っている。また、第3作では浜村涼子(演:土田早苗)と大熊田太郎次郎左衛門(演:梅宮辰夫)の仲を取り持つきっかけも作った。
行灯は「やもめ~」(寡夫)だが、家族からは文句がついたことがない(川崎の自宅前に駐車する他、何度も家族旅行で使用している)。のみならず「花嫁募集中」の行灯まで存在する。マドンナや意中の女性の前では「妻とは死別」、「妻は出て行った。原因は子供が出来なかったこと」などと寡夫と称して口説こうとする場面がある。
トラック「やもめのジョナサン号」は公称4トン半の積載量である。デコトラとしての特徴としては、車体側面に大きく一万円札が描かれていることが挙げられる。運転席の背面にも一万円札ならぬ一億円札を何枚も印刷したデザインのカーテンが引かれている(第2作まではヌードパネルだった。回転式であり、自宅に留める際は背面の家族写真にひっくり返している)。行灯にも「聖徳」、「太子」(当時の一万円札に使用されていた)があるほか、「現金輸送車」、「日本銀行御用達」なども設置されていた(無論、荷は魚か野菜、果物ばかりで、現金を輸送するシーンはない。日本銀行とも無縁だった)。
企画は1作目のみ単独、以後は連名。脚本は全作共同脚本(連名)である。
予告編でのキャッチコピーは以下の通り。
桃次郎・ジョナサンの地元である川崎市は、『突撃一番星』を除いた全ての作品に登場するため一覧からは除外した。また、第10作のみダブルマドンナである。
| No. | サブタイトル | マドンナ役 (公開時の年齢) | ライバル役 (ニックネーム) | 主なロケ地 (イベント等) | 公開日 | 同時上映 (主演) |
|---|---|---|---|---|---|---|
| 1 | 御意見無用 | 中島ゆたか(22) | 佐藤允 (関門のドラゴン) | 盛岡、青森、下関、仙台 (青森ねぶた、仙台七夕) | 1975年8月30日 | 帰って来た女必殺拳 (志穂美悦子) |
| 2 | 爆走一番星 | あべ静江(24) | 田中邦衛 (ボルサリーノ2) | 姫路、長崎、福岡、天草 (長崎くんち) | 1975年12月27日 | けんか空手 極真無頼拳 (千葉真一) |
| 3 | 望郷一番星 | 島田陽子(23) | 梅宮辰夫 (カムチャッカ) | 広島、釧路、静内(新ひだか)、札幌 (ハイセイコー) | 1976年8月7日 | 武闘拳 猛虎激殺! (倉田保昭) |
| 4 | 天下御免 | 由美かおる(26) | 杉浦直樹 (コリーダ) | 倉敷、宇和島、松山、境港、京都 (闘牛) | 1976年12月25日 | 河内のオッサンの唄 よう来たのワレ (川谷拓三) |
| 5 | 度胸一番星 | 片平なぎさ(18) | 千葉真一 (ジョーズ) | 新潟、佐渡、金沢、山形 (白根大凧合戦、新潟まつり) | 1977年8月6日 | サーキットの狼 (風吹真矢) |
| 6 | 男一匹桃次郎 | 夏目雅子(20) | 若山富三郎 (子連れ狼) | 唐津、鹿児島、東京、熊本 (唐津くんち、餅すすり大会) | 1977年12月24日 | こちら葛飾区亀有公園派出所 (せんだみつお) |
| 7 | 突撃一番星 | 原田美枝子(19) | 川谷拓三 (なし) | 鳥羽、下呂温泉、東京 (高山祭り) | 1978年8月12日 | 多羅尾伴内 鬼面村の惨劇 (小林旭) |
| 8 | 一番星北へ帰る | 大谷直子(28) | 黒沢年男 (Big99) | 花巻、会津若松、いわき、福島 (常磐ハワイアンセンター、輓馬大会) | 1978年12月23日 | 水戸黄門 (東野英治郎) |
| 9 | 熱風5000キロ | 小野みゆき(19) | 地井武男 (ノサップ) | 木曽上松、松本、安曇野、長野、魚津 | 1979年8月4日 | ドランクモンキー 酔拳 (ジャッキー・チェン) |
| 10 | 石川さゆり(21) 森下愛子(21) | 原田大二郎 (龍馬號) | 高知、大阪、高松、銚子、東京 (闘犬、よさこい祭り) | 1979年12月22日 | 夢一族 ザ・らいばる (森繁久彌・郷ひろみ) |
「トラック野郎」という言葉は、東映が作った造語であるが、映画のヒットで大型・長距離トラックの運転手の俗称として一般的に使用されるようになった。また本作は満艦飾のデコレーショントラック(デコトラ)が巷に溢れるきっかけの一つとなった。
東映は1960年代から1970年代にかけて岡田茂の標榜する"不良性感度映画"が大成功したが、大川博時代から持ち越された不採算部門の整理統合を含む人員整理、経営合理化の問題が残っていた。抜本的な東映改革として岡田の頭にあったのは、非効率な京都(東映京都撮影所)と東京(東映東京撮影所)に2つも撮影所はいらない、どちらかの撮影所を潰すという考えだった。メインは京都撮影所のため、東京の方が潰されるのではないかと、東京撮影所の活動屋は大きな危機感を抱いたが、流行の発信地は東京に集まっており、潰されるとしたら京都の方と考える者もいた。1975年11月に京都撮影所にオープンした東映太秦映画村が大当たりをとり、東京撮影所が手掛けた「トラック野郎シリーズ」も大ヒットを続けた。東映が今日でも京都と東京に撮影所が存続出来ているのも"映画村"と"トラック野郎"のおかげといわれる。
2016年に11年ぶりに芸術職を募集した六代目東映社長・手塚治は「『トラック野郎』のような映画は、東映が長年、プログラムピクチャーを作ってきたからこそ生み出された映画だと思う」などと述べている。
一番星号はシリーズが終了後売却されるが、売却される前の1980年(昭和55年)に放送された特撮テレビドラマ『電子戦隊デンジマン』第8話「白骨都市の大魔王」ではロケ地でもある東映大泉撮影所の資材置き場に放置されている姿が映し出された。売却後、1980年代前半はパチンコ店の看板車両として展示されていたが、車両へのいたずらや部品の盗難・破壊等によって1980年代中盤に廃車状態で中古車販売店に置かれていたことが確認されている。暫く経った1988~89年ごろに大阪でリサイクル業を営む個人オーナーが購入して修復し1991年頃に復活させた。ただしこの時の修復は映画で使われた当時の姿とは異なる部分が多数あり、電飾等は完全に修復できず、サイドウインカーや後部反射板など、時代々々の法改正に合わせたパーツが装着されていた。修復時のエピソードとして、9作目『熱風5000キロ』でクレーン車によってフロントのガラスが破壊された時のガラス片がダッシュボードに残っていたという逸話もあった。修復後は主に仕事車両として使われていたが、2000年代後半あたりから排ガス規制等の事情で走らせることが困難となる。それでも思い入れが強かったため手放すことはしなかったが、2014年に全国哥麿会の会長である田島順市との出会いを機に考えを変え、一番星号を哥麿会へ譲渡することとなった。
譲渡後は哥麿会を代表する看板車両として公道走行できるよう整備後に車検を通し、Vシネマ『爆走トラッカー軍団』(主演・ジョニー大倉)、映画『爆走!ムーンエンジェル-北へ』(主演・工藤静香)など数々の作品に登場した「竜神丸」と共に全国各地のイベントに参加する傍ら、映画登場当時の姿に近づけるべく段階的にレストアが行われる。前オーナーの修復時の再塗装で色味の変わったキャビンを改めて塗装し直すことをはじめとして、当時修復できなかった電飾関係や劣化したり欠品となった装飾物、風雨に晒されて痛みが激しくなっていた箱絵ペイント等を長期にわたる年月をかけて修復、2020年にはドアの交換に伴う、サイドバンパーを含めた絵柄の再塗装及びエンジンの載せ替えを経て修復が完了、哥麿会のyoutubeチャンネルにて公式に復活を宣言している。補足ではあるが、哥麿会で毎年製作されているカレンダーは、譲渡翌年の2015年以降はすべて一番星号が表紙を飾っている。
修復にあたって、電飾は滋賀県のDKオリジナルが、箱絵・アンドン・キャブの絵柄等々は福島県のネモト功芸社の手によって行われ、箱絵ペイントの修復には映画公開時に本車両の箱絵デザインを手がけた美術監督の桑名忠之も参加した。そのほか、2020年に行われたドアとサイドバンパーの絵柄再塗装は岐阜県のアドデザイン栄宣により施された。
オリジナルの一番星号とは別に、2007年には個人オーナーの手によって中期型の車両をベースに第9作『熱風5000キロ』仕様のレプリカ車が製作され、『カミオン』2007年12月号ではその制作記と共に一番星号(オリジナル)との初対面を果たしている。
第1作の御意見無用の一番星号は、1975年の映画「爆発!暴走族」35分辺りにアンドンが外された状態で渋滞シーンに登場している。別シーンでジョナサン号も44分辺りに登場している。
一方ジョナサン号はシリーズ終了後にライバル車として登場したコリーダ丸や龍馬號を所有していた椎名急送が購入したものの、仕事車両としては使い勝手が悪かったため売却。その後所在を転々とした後(一時期は売却後の一番星と同じ場所に置かれていたこともあった)、時期は不明だが部品が盗難され痛みの激しい状態で茨城県のスクラップ業者に置かれていることが確認された。その後解体された模様で車両は現存せず、荷台箱のみ1994年頃とある農家の倉庫として使われていたのが目撃されていたが、2000年代に入る前に処分されている。
のちの2009年に、群馬県にあるトラックパーツショップ「トラックアート歌麿」で「ジョナサン号再現プロジェクト」が立ち上がり、九州の地に現存していた平ボディのふそう・T650系をベース車両として、第9作目仕様のジョナサン号をいちから作り起こして翌年までに完成、公式ウェブサイトでは表紙にも登場した『カミオン』誌2010年8月号の特集記事(ジョナサン号が掲載されたページのみ)をそのまま掲載している。
第1作の御意見無用のジョナサン号は、1975年の映画「爆発!暴走族」の千葉真一と岩城滉一がタンデム走行で暴走するシーンの44分辺りに登場している。また、一番星号は、別シーンの35分辺りにアンドンが外された状態で渋滞シーンに登場している。
ゲスト車両として第10作に登場した龍馬號は1986年に事故で損傷した荷台ペイント部分の修復を行い、同年10月号の『カミオン』誌でも記事に取り上げられた。のちの1998年にフジテレビで放送された『西村雅彦のさよなら20世紀』の企画でトレーラー部分が爆破解体された。現在は2代目として同じデザインのペイントを施した3軸のトレーラーが存在する。
東映は、1981年に新しいトラック野郎に黒沢年男を起用して『ダンプ渡り鳥』を公開するが、本作と比較すると興行は芳しいものとは言えなかった。
1990年代に『新トラック野郎』としてシリーズを復活させるという企画が持ち上がり、『トラック野郎』第6作から第9作の脚本を担当した掛札昌裕が脚本を書いた。「主役は桃次郎ではないが二人組。トラックとよくすれ違う、60代の男が運転する謎の自家用車が出てきて、実はそれがもう余命いくばくかもない奥さんに日本全国を見せるために走っている事だっていうのが最後に分かる」という話。これを岡田茂に見せたところ、「お前、気が狂ったんじゃないか?」と一喝され却下されたという。後に掛札は『爆走トラッカー軍団』シリーズの全作で脚本を手がけている。
1996年には東映の配給で映画『爆走!ムーンエンジェル -北へ』(製作・ポニーキャニオン)が公開される。トラック野郎とは一線を画した「カミオンマドンナ」としてハンドルを握る主人公役に工藤静香を起用、監督は『スクールウォーズ(2作)』『ポニーテールは振り向かない』などの監督を務めた山口和彦。現在一番星号と共に哥麿会の顔でもある竜神丸も清水宏次朗がハンドルを握る車両として登場している。
1978年12月16日に、シリーズ初のテレビ放送が行われた。第1作『御意見無用』が「土曜ワイド劇場」の特別篇として2時間拡大版として放送された(当時は1時間半枠)。翌年に第2作から第4作までが、ゴールデンタイムに順次放送されていった。
当時は、東映がテレビ朝日の筆頭株主だった(現在は2位株主)関係で、1980年代の中期ぐらいまでは、よく放送されており、特に年末年始は必ずといっていいほど放送があった。
また、1990年代初頭まではTBS土曜午後の映画枠(『土曜映画招待席』)の常連でもあった。2014年9月以降よりBS-TBSにて定期的に放送されている。
近年の地上波ではほとんど放送されていない。ただし、2010年代に入って本作の主人公である桃次郎とジョナサンを演じた菅原文太と愛川欽也が鬼籍に入った後は、その追悼として放送された(シリーズ終了後の話題(2000年代以降)参照)。
玩具メーカーのバンダイ(旧バンダイ模型(バンダイ関連会社→吸収)、プラモデル事業は2018年4月にBANDAI SPIRITSへ移管)が版権を獲得し、発売した模型(1/48スケール)、800円、1200円も月に10万台も売れる大ヒットとなり、作っても作っても需要が追い付かないほど売れ、3200円のモーターライズも追加で売り出された。これはプラモデル初心者にも作りやすいキットだったが、2010年代は店頭で見ることが稀になってしまったぐらいの貴重品である。『天下御免』のオープニングでは、1/20スケールのこれで遊ぶ子供たちが登場している。
またそのバンダイの関連会社で、後にバンダイに吸収されるポピーのミニカー玩具「ポピニカ」から、『爆走一番星』・『天下御免』・『度胸一番星』にそれぞれ登場した桃次郎のトラックをキット化して発売した。いずれも乾電池によりキャビンとコンテナが光るギミックが搭載されている。この他にも、ポピーの関連会社「ロビン」から、ポピーの主力商品「超合金」と同じ素材で作られたダイキャスト製バッジ「超合金バッジ」にも、本作のトラックを象ったバッジが発売された。また、1978年には、ポピーがスポンサーとなったテレビアニメ『闘将ダイモス』(トレーラーが巨大ロボットに変形する)が放送され、玩具も販売された。
1980年代に全長約55センチという1/20スケールの超大型モデルも登場し、映画が終了して30年近く経つ現在2000年代でも販売されているロングセラー商品となっているが、後述のアオシマから1/32スケールのモデルで発売された2009年以降店頭に並ぶことは皆無に等しい。
トラック野郎の版権を持つことが出来なかった青島文化教材社(以下アオシマ)は、自社が商標を持つ「デコトラ」のシリーズ名でコンスタントにアートトラックの模型を発売しており、2009年には一番星号(『故郷特急便』版)が1/32スケールのキットとして初モデル化された。その後2018年までに3作目以降の車両がモデル化され、2020年にはベース車両の違う1作目『御意見無用』仕様もバンダイ時代から遡って初めてモデル化される。なおアオシマ製のトラック野郎シリーズキットについては発売元がバンダイ(移管後はBANDAI SPIRITS)扱いとなるため、箱絵にバンダイのCIマーク(同)が入っている。他にも当時の映出車であるコリーダ丸(2007年及び2012年)、龍馬号(2007年及び2016年)や、一部実車とは異なるが6作目のライバル車両である「袴田運送」(2011年)などがモデル化されている(これらのキットはトラック野郎シリーズではなく自社で展開しているデコトラシリーズでの発売のため箱絵にバンダイロゴは入っていない)。その他、チョロQや光るRCカー(1/32スケール)が新たに発売されており、2010年代もなお根強い人気を保っている。