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この記事は検証可能な参考文献や出典が全く示されていないか、不十分です。(2009年12月) |
テレフォンクラブとは、電話を介して女性との会話を斡旋する店である。通称はテレクラ。基本的には個室で女性から店に電話がかかってくるのを待ち、その女性との会話を楽しむもの。個室にはティッシュペーパーが配置するなどされており、テレフォンセックスが行われる場合もある。女性との交渉次第では、機会を改め店の外でデートや性行為を行うことなども可能である。
1985年の風俗営業法改正後に注目され、流行した業態。日本で最初に登場した店は1985年に小林伴実により開業された新宿「アトリエキーホール」、もしくは同年秋に同じ新宿に開業した「東京12チャンネル」と諸説ある。別冊宝島には1986年のサブカル・流行の1つとしてテレフォンクラブが紹介されている。
テレフォンクラブは売春の温床ともなっている。現在はパソコンやインターネットの一般化に伴い、出会い系サイトが普及したために、テレフォンクラブは衰退している。
店によって、店員が順番に客に女性からの電話を回すシステムと、早く受話器を上げた客が電話をとることが出来るシステムの大きく二つに分けられる。なお、東京都など一部の自治体では条例により「早取り」形式は禁止されている。
店によってはSM回線、3P回線を設置してあるところもある。
朝日新聞1986年4月3日夕刊(東京版)の「テレホンクラブ」(テレクラ)の記事に、テレクラで男性客とデートをしていた家出中の女子高生が補導されたという内容が掲載された。同記事によれば、テレクラは1985年秋頃から新宿・渋谷などに急増し、この頃までに100軒ほどあったという。
1990年代初頭には、一般の女性も多数参加し、同様の店が全国各地に広がり、流行していた。女性は無料であるため、女子中高生がいたずらでかける場合も多数あった。始めはいたずらでかけているつもりでも、度々かけているうちに相手に興味を持ったり、金銭を提示されたりして、実際に会ってみる気になることは十分ありうることであった。女子中高生の援助交際が問題になると、テレクラがその温床ではないかとの批判が強まった。
1990年頃には、レディースコミックに10-15ページほどのテレクラ広告が掲載されていたという。宮台真司は多摩地域のテレクラの状況を調査して、近年の若者の状況を社会学的に考察した(『制服少女たちの選択』1994年)。テレクラは1980-90年代の日本独特な出会いの文化として位置づけられる。
1995年に岐阜県で青少年のテレクラを規制する青少年保護育成条例が改正されて以降、全国の自治体でテレクラ規制条例が制定されていき、年齢確認や営業地域が限定されるなどの規制の強化によって衰退傾向が見られた。2002年には風俗営業法の改正で「店舗を設けて、専ら、面識のない異性との一時の性的好奇心を満たすための交際を希望する者に対し、会話の機会を提供することにより異性を紹介する営業で、その一方の者からの電話による会話の申込みを電気通信設備を用いて当該店舗内に立ち入らせた他の一方の者に取り次ぐことによつて営むもの」という性風俗関連特殊営業の「店舗型電話異性紹介営業」してテレクラを規制し、テレクラの利用者(男性・女性は問わない)全てに対し、18歳以上であることを示す身分確認を求めることが付けられた。さらに深夜0時から日の出(2016年6月23日からは午前6時)までの間はテレクラとしての営業が禁止されたことから、より一層利用者が減少し多くのテレクラが廃業した。しかし、現在もテレクラは各地に存在しており、男女の出会いの場を提供している。