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| 団 鬼六 (だん おにろく) | |
|---|---|
| 誕生 | 1931年4月16日 |
| 死没 | 2011年5月6日(80歳没) |
| 職業 | 小説家 |
| 言語 | 日本語 |
| 国籍 | |
| 教育 | 学士(法学) |
| 最終学歴 | 関西学院大学法学部 |
| 活動期間 | 1961年 - 2010年 |
| ジャンル | 官能小説 |
| 主題 | 女性の官能美 |
| 代表作 | 『花と蛇』 『黒薔薇夫人』(1973年) |
| デビュー作 | 親子丼 (1957年) |
影響を受けたもの
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影響を与えたもの
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団 鬼六(だん おにろく、1931年4月16日(戸籍上は9月1日) - 2011年5月6日)は、日本の小説家・脚本家・演出家・エッセイスト・映画プロデューサー・出版人。
SMものなどの官能小説の第一人者として著名である。代表作に『花と蛇』。多くの作品が映画化された。作家活動の他、鬼プロダクションを設立して、ピンク映画やSM雑誌を手掛けた。将棋雑誌の出版も行った。
本名は黒岩幸彦(くろいわ ゆきひこ)。初期のペンネームに黒岩松次郎、花巻京太郎。なお、本人の弁によると“鬼六”の読みは、“おにろく”でも“きろく”でもどちらでも構わないとのこと。
滋賀県彦根市に生まれる。彦根生まれだが、1944年に父が大阪の軍需工場に勤め始めたため、中学から大阪育ち。関西学院中学部・関西学院高等部を経て、関西学院大学法学部卒業。高島忠夫、キダ・タロー、藤岡琢也と同期であった。高等部時代に演劇部を設立し、兵庫県演劇コンクールで脚本が一等賞を受賞。
まれに関西大学卒業という紹介が見受けられるが、この二つは全く違う大学であり誤りである。大学時代は、軽音楽部にマネージャー兼歌手として入部していたほか、西鶴研究会にも参加していた。
1947年に創刊された『奇譚クラブ』に夢中になり、自分の性癖を意識することとなる。
1955年、父親ゆずりの投機癖で、小豆相場に失敗して多額の借金を抱える。同年、上京して洋画と軽音楽を紹介する映画雑誌『スターストーリー』に翻訳要員として入社するが、編集長と喧嘩して四カ月で退社。1956年、『オール讀物』の第9回オール新人杯で、黒岩松次郎名義の「浪花に死す」が候補作となり、また『奇譚クラブ』に投稿したSM小説「お町の最後」(花巻京太郎名義)が入選。日劇ミュージックホールの照明係など職を転々とする。1957年、文藝春秋のオール讀物第11回新人杯に黒岩松次郎名義の「親子丼」で次席入選する。1958年、母親に紹介された文藝春秋社の香西昇の紹介にて、入選作などを収録した短編集にして最初の著書、五月書房刊『宿命の壁』(黒岩松次郎名義)を刊行。なお、『蛇のみちは 団鬼六自伝』では、「親子丼」の入選後の1957年に上京したとあるが、鬼六公式サイトの年譜での上京年は1955年であり、大崎善生『赦す人―団鬼六伝―』も1955年上京としている。
自身の先物相場や株取引の経験を元に、相場師を主人公とする経済小説・相場小説を執筆し、このうち1958年に刊行した『大穴』は、1960年に松竹で杉浦直樹主演で映画化されている。
映画原作料などで、新橋のバーの経営者となるが、バーは赤字であり、さらに相場に再び手を出して借金を作る。そのため、バーを手放し、バーの前経営者の妹だった女性英語教師の紹介で、1962年三浦市三崎の中学校の英語教員となる。その英語教師の女性と最初の結婚。
しかし、1961年頃から変名で『奇譚クラブ』に投稿していた「花と蛇」が評判となり、教師をしながら官能小説を執筆する。1965年、アメリカのテレビ番組の吹替製作会社「テレビ放送」に入社するため、教師をやめて上京。ピンク映画の脚本も執筆するようになり、やがて官能小説の第一人者となる。
ピンク映画の脚本の執筆を依頼されたのをきっかけに自身で、1969年、プロダクション「鬼プロダクション」(通称「鬼プロ」)を立ち上げ、ピンク映画を製作するとともに、1972年にSM専門誌『SMキング』を発行、1970年代の草創期SMシーンをけん引した。
1970年代から1980年代にかけて日活ロマンポルノのドル箱であるSM映画の原作者として活躍し、SM映画の巨匠として日活に大きな影響力を持っていた。また篠山紀信を写真家に起用してのSM写真集の出版なども手がけた。
1989年に作家としては断筆宣言をするも、一方では将棋ジャーナルのコラム等を書いていた。1995年に『真剣師・小池重明』で作家として復活。以後、死去の直前までエンターテイメント作品の発表を続けていた。慢性腎不全で闘病中でもあった。
2011年5月6日午後2時6分、食道癌のため東京都文京区の順天堂大学医学部附属順天堂医院で死去。79歳没。戒名は戯生院法幸団徳信士。
初期は黒岩松次郎、花巻京太郎を使い、1963年の『花と蛇』再開時から団鬼六のペンネームを用いる。団鬼六の由来は、大ファンだった女優の団令子の姓の団、エロ小説の鬼という意味の鬼、昭和6年生まれだからという六の組み合わせである。
将棋はアマ六段の腕前。死後、段位七段に昇段。1989年に日本アマチュア将棋連盟の機関誌『将棋ジャーナル』の発行を引き継ぐものの赤字が止まらず、1994年に同誌が廃刊となる。作家として復活したのは雑誌の発行により抱えた借金を返済するためであった。その後は『将棋ジャーナル』に書いていたコラムを『近代将棋』誌に移して執筆を続けた。1997年の『近代将棋』の継続危機にあたっては、ナイタイ・グループの圓山政則をスポンサーとして紹介した。
1989年、将棋ペンクラブ大賞「特別賞」受賞。2008年に将棋ペンクラブ大賞「功労賞」受賞。
ジャズシンガーで女優の黒岩三代子は実妹。
母は国木田独歩の長男、国木田虎雄と大正末年に結婚して1927年頃離婚、大阪で直木三十五の弟子となり香取幸枝の芸名で女優として活動後、松竹演芸部にいたシナリオライター志望の団の父と結婚した。
父親違いの兄に、俳優の三田隆(国木田虎雄と団の母との息子)。
とくに映画においては女優の谷ナオミと親交が深く、デビュー前から彼女を見出していた。また、元プロボクサーで芸人のたこ八郎がアシスタントを務めていた時期もあり、神奈川県真鶴町の畑付き借家時代には鬼プロの社員だった。官能小説家との親交も深く、同じくSM小説の大家である千草忠夫は『花と蛇』のファンであり、当時住んでいた神奈川県三浦市三崎町を訪問している。
団鬼六賞(だんおにろくしょう)は、官能小説を対象とする公募新人文学賞。全2回。受賞作は出版された。
第1回優秀作の『花鳥籠』は映画化された。
| 回(年) | 受賞・候補作 | 著者 | 初刊 | 文庫化 | |
|---|---|---|---|---|---|
| 第1回(2010年) | 大賞 | 『花祀り』 | 花房観音 | 2011年4月 エイチエス | 2013年2月 幻冬舎文庫 |
| 優秀作 | 『花鳥籠』 | 深志美由紀 | 2011年6月 エイチエス 悦の森文庫 | ||
| 【選考委員】 団鬼六、重松清、高橋源一郎、睦月影郎 | |||||
| 第2回(2012年) | 大賞 | 『蝮の舌』 | うかみ綾乃 | 2012年7月 小学館クリエイティブ | |
| 優秀作 | 『淫府再興』 | 沢里裕二 | 2013年2月 講談社文庫 | ||
| 【選考委員】 藍川京、石田衣良、高橋源一郎 | |||||